
日本では新型コロナ流行の第三波がメディアを賑わせているところですが、グアムに来ています。グアムに来ていると言っても、飛行機が着陸したら即、機側から関係者に付き添われ、あっという間にホテルまで直送されて隔離されてます。東京を出る直前のPCR検査でも、グアムで受けたPCR検査でも陰性なのですが、隔離されてます。
たしか2019年11月が新型コロナ流行前の最後の海外出張でしたので、それから約1年。それまでは海外出張の合間に海外旅行に行くようなことをして、2か月に1回くらいはどっかに行ってるような生活でした。なので丸々1年まったく国外に出なかったのは久しぶりなのですが、出国したとはいえホテルの部屋からは出られないので、あまり意味はないですね。
誰しもがいつもと違う1年を味わう羽目になった2020年でした。12月になったばかりで2020年はまだ1か月残っていますし、まだこれからもおおごとが起きそうですが、個人的にももうここまでで十分、身心に重くのし掛かる出来事が続きました。
予定していた仕事が新型コロナの流行を受けてぽつぽつと延期や中止となっていた年の初め、久しぶりの海外勤務を打診され、4月にはそれが確定。しかし実際にはいつ赴任できるかは目処が立たず、基本的に国内待機。ちょうど緊急事態宣言が出てた時期に重なり、身動きができない状態に。
収入は減ったものの幸い独り身で食うに困るほどではなく、とはいえいつ赴任が可能になるか見通しが立たず、住むところをどうするか問題が浮上。赴任時期が確定していれば今の住処を退去する時期も決められるけど、いつまで東京にいなくちゃいけないのかはっきりしない状態でどう住むところを確保するのか。家財はどう処理するのか。
3年余り福岡の実家で入退院を繰り返していた母の体調が芳しくないとの連絡を受けていたのもこの頃。一方で僕の海外赴任がいつ決行になるのか分からない。おまけに新型コロナ流行のせいで県境を越える国内移動は控えよという圧力。簡単に福岡に戻るわけにもいかない。
そもそも中東やアフリカの経験が長い僕の久しぶりの海外赴任が大洋州になったのは、母の容体を考えると出来れば日本に近い、往来しやすいところがいいと考えたためだったのに、何が何やら分からなくなってしまいました。
9月に母が他界。この時点でまだ僕の海外赴任時期はぐずぐずと調整が続いていて、なんだかんだ言いながら福岡に戻って母の最期を見取り、葬儀にも立ち会うことができたのはまさに字義どおり不幸中の幸い言えました。それどころか、少し早めにやった四十九日の法要まで日本にいることができました。いずれも感染防止のためできるだけ参列を遠慮していただくようみなさんにお願いして静かなものになりましたけれど。
そして11月。それも11月16日になって19日に出国できる手筈が整ったとの連絡を受け、実質3日間で慌ただしく身辺整理。しんみり感傷に浸る間もなく成田からグアムに移動して、今に至ります。そしてこの後、最終目的地到着まではまだしばらくかかりそうです。
例年に比べて自殺者が大幅に増えてしまうほど、たくさんの人たちの生活が狂ってしまった2020年。自分こそは大変だったと自慢しても詮無きことですが、世の中こんな境遇に陥った人もいる、ということでメモ残しておく次第です。